Inside of my head

音楽、映画、日々のことなど雑感

orbitalを主にBUMP解釈など

数あるBUMPの歌の中でも結構意味がわからなかったのがarrowsなのですが、この前少し意味がわかった気がしたのでその話を。

あの歌に出てくる虹とは、雲とは、というのがいつもわからなかったんだけど、

そういえば虹って言えばハルジオンにも出てくるな、あれと同じ意味なのかな、と思って考え始めて。

ちゃんと聞き直したら実は虹は出てきてませんでした。弓を虹だと思い込みすぎていた。でも、結論としては同じじゃないかと思います。

そしてなぜかずっとわからなかったけど、「泣き出した雲の下」というのが大事なだと今更。そこで出会っているから多分お別れしなくてはいけなくなった。そう考えると少しリリィとかスノースマイルを思い出しました。この二曲は全然私の中で違う位置づけの歌だけれど、その「泣き出した雲の下」で出会う、というのがリリィを彷彿とさせ、またいつか会おう、という感じが、出会ってしまったから別れなきゃいけない感じが。それは始まりあるものは終わるという意味ではなく、君が僕の行くべき方向を教えてくれて、だから一人で行かなきゃいけない、という意味の方の。それがスノスマ的だなと思った。

行きたいところは全部廻った、という歌詞が三度入るけれど 少しニュアンスは違うのじゃないかなと思います。

多分、先に出てくる方は、行きたいところは全部廻った 泣きそうな雲の下、だったかな、プラネタリウムみたいな感じなんじゃないかな。行きたいところは行ってしまった、物理的に。だから雲は泣きそう。

二度目のは、夢とかではなく、二人で行きたいところ、なんじゃないかと思う。

でも三度目の、行きたいところ全部まわった後に また会えたら、の方は精神的な意味で、物理的に行っちゃったけどやっぱり精神的にこれじゃなかった、と思っていたことについて、精神的に行きたかった場所に行けたら、なのではないかと。それが終わらないと会えない感じ。

 

具体的にこの歌詞はこれを指してると思う、というのは野暮であまり好きじゃないのだけど、この際やってしまおう。

要は、多分何か夢を追ってきて、もう無理、となって「不燃物置き場」のとこへ来てしまった。自分には無理かも知れないとか、頑張ってもダメだったこととか、色々挫折とか絶望とかがリュックサックに詰まっていて、それでも本気では諦められなくて、泣きたいような気持ちで生きてきて。この泣きたいような、が雲に反映されてるかなと。無理じゃないかな出来ないんじゃないかなって不安をずっと持ってた、それが泣き出しそうな雲。

で、「君」と出会う。ここで多分、「一緒にここから離れよう」だから一度夢を諦めるのではないかな、そういう意味で不燃物置き場から離れる。だから雲は泣き出す。ここで一旦諦めてしまうから、ああ無理だったんだと泣いてしまうんだよね雲は。

リュックサック持ってるの辛い捨てたい。でも相手から見ればそれだけ頑張ってきたんじゃないか、という話。辛いだろうけどそれ、君の大事なものたちでしょう、捨てるくらいなら持つからさ、貸してよ、と。

行きたい場所、ここでは夢とか今まで行かれなかった行きたかった場所。こんな夢見なければ出来たって思ってきたこと。だから「いい加減に飽きる」日が来るのも、逆にまた、わかっている。そしたら、あの雲に、諦めかけてる夢に、戻ろうと。

リュックサックは交換する。でもどんなに相手が大事で相手の夢も大事でも、それは相手のものであってやっぱり自分のじゃない。自分は自分の夢がやっぱり大事と気づく。でも同時に、相手の夢も大事。だから、ここで出会った君、君と築いた関係性は偽物じゃない。多分それがあればまた辛い思いしても、夢を追うのをやっていかれる。

結局夢を諦めた場所に戻ってきてしまう。夢を追ってる辛さとか、そのくせ諦められないとか、結局何してても変わらなかたっていろんなことやって気づかされて、結局そこに戻ってくる。

だからここから離れる。夢さえなきゃいいのにって逃げ出した場所で、自分の夢の大事さを、かける思いを、もう一度知ってしまうから。この場所ではダメだって。

自分のリュックもう一度もらう。挫折とか絶望とかなければここには来なくて、君には会えなかったし、素敵な思い出ばかり詰めたリュックになってた。(このへんは比較的わかりやすいと思う)

さよならなんて言いたくないけど、それこそ同じドア的にね、行かなければならない。でもそのあとの歌詞は本当にバンプのテーマだと思うけれど、物理的にそばにいなくても君が作った僕だから、君はずっと僕の中にいる、だから大丈夫。

涙と涙が出会ったらかかる弓の唄。

やっぱり夢のことなんじゃないかなと思います。お互いに夢を追って、その家庭で涙を知って、やっぱりでも自分にはこれが大事なんだって知った、弓、虹。

本当にやりたいことが出来たあとにまた会えたら、挫折も絶望も不安ももうなくなって、その弓を渡ろうと。

あんなに近いずっと遠いあの雲にのぼろう。

無理なんじゃないかって思う気持ちとか、裏返せばそれはそれだけ夢に対して強い気持ちを持っているってことなんだと思うけれど、その時が来たら雲の上にのぼろう、多分それは本当に夢を追って追って傷ついても追ってきた人が、本当に叶えた時にしか見れない景色、だと思うけれど。

そういう歌なのかなって思いました。

題名がarrowsなのは、弓に対して自分たちは矢という位置づけだからだと思うんですけれど。

ある意味、今思ったけど、弓がなければ矢だけあっても意味を成さないところとか、結局夢追ってない自分じゃ自分の意味がないような感じもする。

涙のふるさとが次の曲ですけれど、

涙を追って自分の中を探っていって、最後に「忘れないでね 帰る場所があることを」という歌詞が夢を追うことに結局あなた(今迷っている自分)は帰ってくるんだよ、という風に聞こえてくる。

なんとなく、すごくなんとなくですが、ロストマンみたいにさ、その「君」と出会ってああこれやんなきゃダメだ、て思ったあともやっぱり迷うと思う、「君」と離れることを選んだこととか、日々は続くから。

でもそういう時に、いつか付いた傷を見に行って、考えるのをやめちゃった分遠ざかってた傷=私の解釈では「君」の喪失なんですけれど、をまた見て、帰る場所あるでしょうという歌かなっていう、わからないけど。

そう考えるとね、その後くるflybyがやっぱりすごく悲しい。

接近して、確かにすぐそばにいて、だけどあなたと私は絶対平行線。あなたと君、私と僕しか、同じ軌道上にはいられない。あなたと私は、ずっとずっと平行線。

だけど教えてもらえた音をつなぎメロディーを送る、なんだよね。

 

その意味で、最初は王様にしか見えない星の鳥が、王様が死んでしまったあと、ニコルちゃんに見えるのかな、と思った。

多分その、リュックサック交換して、私のものじゃないけど君の夢も大事、になって、そうしたら多分軌道が交わらなくてもだよ、違うとしても、星の鳥は見えるんだろうな、と。なんかね。全然わからないけど。でもやっぱり、一人分の場所には一人しか入れない、というのもあるんですよね。

 

 

ユグドラシルはわりと内省、自分対自分みたいなアルバムだとどこかで思ってしまっていて。全然そんなことないのだけれど。embraceもスノースマイルロストマンも、確実に自分対他人だと思うのだけれど。だってこの掌にもう一つ情報が欲しい、はさすがに自分に言わないだろう。

しかしストレスで世界がモノクロになるってどんだけストレスなの。

まあいいや、そう、でもコスモノートはすんごく外向きだと思っていて。すごく自分対他人、を感じるのです。

だからその意味で、その中間にあるorbitalという位置づけがすごくしっくりくる。

voyagerは自分対自分じゃないですか。わーたしはどんなに離れても いつもあなたの周回軌道上、だもの。

それがね、メーデーあたりかなと思うんですが、人に出会うんだと思ってます。

ただ、正直suppernovaの位置はぜんっぜんわからない。

渋谷陽一は、orbitalに対してこのアルバムは二進法で進むんだよとか言っていたけど、voyager星の鳥、プラネタリウム才悩人は自分の中でつながってるんですけどね、他に関しては訳がわかりません。プラネタリウムの次supernovaなのかというあたりとか。

そしてやっぱり時空かくれんぼは謎過ぎる唄ですーいやでも、今思い始めたarrowsの解釈を持って聴いたら少しわかるかも知れない。

前よりは少し、て感じかな、ようわからん

 

とにかく大きな喪失が今の自分の生きる原動力だし、その喪失は自分で選んだもの、なのでしょうね。生きる為にある意味捨てた、それがずっと自分の中で生きている。

天体観測とかから変わらないと思う。だから花の名なんでしょうね、会いたい人を選んだ自分だけに歌える歌がある、とか。

 

あとやっぱウェザーリポートがなんもわからん!!!