Inside of my head

音楽、映画、日々のことなど雑感

BANANA FISH

吉田秋生原作のアニメ、見ました。原作は未読。

何から褒めれば…という感じに良かったんですけど、、
ベタに安く、まずはアッシュかっこよすぎというとこ。
ニューヨークが懐かしすぎること。
マックスの優しさ。
愛するとは、とか。
各話タイトルなど、引用される文化の多くがアメリカのものであることも非常に好みでした。
いちいちこのセリフなんて言ってるんだろうなとか英語考えたり。

悶々と考えてるのが、アッシュは英二を愛するということのすごさ。
「お前みたいに生きられたらよかった」みたいなことを、アッシュが英二に言うシーンがあって、それは本心だと思うんだけど、アッシュは英二を妬むのではなくて愛して守ろうとするのがすごいなと…
自分が生まれのせいで不当に奪われたものを、労せず手に入れてる者を愛せるってすごい。そう思ってしまうのは私が狭量なせいだというのは間違いなくて残念なことですが。
英二は「世界中が君の敵になっても、僕は君の味方だ」とアッシュに言うけど、そんなこと言えるのってそもそも英二がとんでもなく甘ちゃんなだけだ、とか思わないあたり、説得力を出せてしまう英二の人間性も、信じるアッシュの純粋さも得難いなと思う。でもアッシュも他の人が言ったらここまで信用しないのだろうなと思うと、英二ってすごい。
英二の内心は、アッシュに関係ない部分はそこまでアニメでは描かれないのだけど、彼も事故で怪我をしてスランプに陥ってしまう、不当に奪われたという感覚を持っておかしくないような経緯を持つ人だけど、そのことで誰かを羨んだり妬んだりはしてないんだろうなあ。
思ったのは、月龍のそばに英二がいたとして、月龍は救われるんだろうかということ。
ブランカは月龍に、あなたのことを気にかけて、愛する人がいるはずだと言うし、シンスウリンはそうなりそうだという描写があるのだけど、そういう人が現れても月龍は本当に信じられるのかしらと少し疑問に思ってしまった。
関係性は異なるにしても、アッシュには英二以外にもスキップやショーターという友人がいたわけだけど、月龍は利害抜きで協力してくれる人を持ち得たのだろうか。
で、もし否だとすると、その差は愛された経験の有無なのかなとか。
アッシュは親との関係は非常に悪い(最後和解するような感じにはなるけど、ちょっと腑に落ちない)けど、兄に愛された経験がある。
月龍は母親に愛された経験があってもおかしくないけど、55も歳上の男に買われてできた子供を愛したのか疑問は残る。まあ月龍が異母兄達を母の仇として復讐するので、愛されてたのかもしれないけど。
幼少期に愛されたという実感を持つか持たないかというのは大きく差が出るというのが持論なのでそう思ってしまうのかも。

ちなみに、アッシュと英二は鉄コン筋クリートのクロとシロとは全く違う関係性なんですよね。クロとシロはバックグラウンドとなる世界が共通だけど、アッシュと英二はむしろ共通のものなんてほとんど持っていない。
その二人が一緒に生きようとすることがこの作品のテーマの一つだと思うし、そんな断絶が今日の社会にあることに違和感もある。
でも断絶はない方がいいのか?
グローバル化が進んで、男女格差や人種差別など 色んな境目を容易に越えられるようにしようと声が上がる時代だし、それは私個人は賛成だけど
平等になるべきは守られるべき最低限の権利と、機会へのアクセス容易性なんだろうな…とか考える。

話が逸れました。

マックスもすごく好きで、伊部が英二の保護者であるように、マックスも陰ながらアッシュの保護者なんだよなあと。
きっとみんな大好きだと思うんだけど、アッシュがゴルツィネと組んだ月龍に、英二と引き換えにバナナフィッシュに関する情報を全てゴルツィネ・月龍サイドに引き渡すように言われて、データを持ってるマックスと記者にデータを渡せと脅しに行くところ…
マックスは「お前の大切なものを守れ」と言って簡単に、アッシュを責めもせず、データを渡すんですけど。
国家規模の陰謀を暴くことや、ジャーナリストである自分の仕事より、アッシュ個人の幸せを迷いなく優先するわけで…
アッシュは怪しまれないためにマックスが父親という体で外で食事してから、度々マックスを「パパ」と呼んでからかい、マックスも「父親」とノッてたりするんだけど あのアッシュの幸せを優先する行動は正しく父親だなと思って、良かった。

まだまだ語り足りないですけど、本当に良い作品。

各話タイトルに引用されている小説も読みたくなってきた。好きなものによって世界が広がっていくことは、豊かで幸せなことだなと思う。