日常と音楽と
(please) forgive
この曲の音像は自分の中で、aviateという英語にぴったりです。
フライト中に窓から見えた、雲の上の明るい明るい太陽と水色、でもどうする訳でもないようなあの光、に似ている。
ある人が、この歌を聴いてわたしを思い浮かべたと言ってくれて、逆にわたしもその人しか思い浮かべられなくて、そう思って聴くと本当に胸が痛む歌で、
自分のために歌われた唄などない、と藤くんは歌っているけど、この曲は正直わたしたちのことを言っているんではないかと思ってしまうほど。もちろんそんなこと思ってないけど、それぐらい。
こう思ってもらっているって、しみじみ思ったら 頑張らなきゃなって、思って
わたしはわたしの行きたい場所まで行く努力をしなきゃなって 思った、
わたしの行きたい場所がそのままイコールあなたの行きたい場所ではないだろうけど。
そこから思い出したのがRADの夢番地だった。自分のじゃないならどれだけ大事にしても仕方ない、というのが「夢」かもしれないけど、BUMPのarrowsはそういうことを言っている気がするけれど、夢番地は何も「当然」なんてないということではないかと思った。
だから なんで明日を待っていたんだろう、迎えに行くよ、ってなるんじゃないかな
というか最近自分はそう考えてる 実行に移せないことばかりだけど
11月になりましたね。まだまだやることが山積みで、Novemberistを聞くほど凪いだ気持になれないのでまだ聞いてません。あと11月の歌って言ったらエイジオブイノセンスくらい?でもあれ夏の歌でもあるんだよね。
そうそう、あまり今まで好きじゃなかったけど最近GOOD LUCKすごくわかるなあと思う。
君とさみしさはきっと一緒に現れた 間抜けな僕は長い間気づかなかった
あの歌で言われている意味とは違うでしょうけど、この気持ちになります。すごく。
君の生きる明日が好き って歌なんだけどね わたしは君が生きてる今が好き