Inside of my head

音楽、映画、日々のことなど雑感

日常から戦争など

人生の選択権は自分にある。
私はティムシェルという言葉をこう解釈しているし、BUMPのテーマの一つだと思う。
オンリーロンリーグローリーとかからかな、「選ぶ」というのはずっとBUMPが歌っていることだと思っている。
ずっと自由というのも同じことだと思っている。

DCでホロコーストミュージアムに行ったとき、
ナチズム台頭の中でユダヤ人を匿った人たちの話も展示されていて
それこそ自分で選べる話なんだよというようなことが書いてあった。
博物館からのメッセージとして。
そうなんだけど、もし自分が当時ユダヤ人ではないヨーロッパ系民族として生きていたら
多分ユダヤ人を匿うことは私は出来なかっただろうなと思います。
死にたがりのくせに死ぬのは怖い。
そもそも怖くなかったらとっくに死んでるって話ですが。
メリーゴーラウンドから降りろと。
言うのは簡単だ。考えるのも簡単。知識を集めるのも、あまりやってないけど、簡単。
Think globally, act locallyという言葉がある。
本当にこれに尽きる。
私は何を行動していいかわからなくて、わかっていることは出来なくて、何もしない。
せめて少しでも罪を軽くしようと知識を集めようとしているけれど、
考えてみれば知っててやっているだけ罪が重い。

話は戻るけれど、DCはスミソニアン博物館群を始めひたすら博物館があってそれなりに行きました。
歴史博物館と宇宙・航空博物館的なのに行った時かな、歴史は当たり前だけれど戦闘機とか繋がりで
そこの二つは戦争に関する資料がそれなりにあったのですが
なんていうのかなー、これはもちろん完全な私感だけれど
日本で戦争学習するときって自粛ムードというか 暗い顔してなきゃ的なところがあると思うんですが
(そうでもないかなー、高校の修学旅行で原爆ドーム行ったとき他校の小学生たちはお化けごっこをしていた、
でもこれは年齢的なものだろうか)
アメリカはやっぱり戦勝国だからかな。どこか戦争に対して輝かしい栄光の歴史っぽさがあるというか
なんだか捉え方が違う、ような、気がした。
うーーーーーんちょっとこれは違うかもしれないけれど。
日本だと自発的にというより学校関連で行くことが多かったのもあって 単純に言語的な問題もあるけれど
結構解説員さんとかに話聞いたりするから「語られる」歴史を勉強する機会があったからかな。
博物館とかのが第三者的であろうとするからね。
人に戦争の話聞くとなると「なんでこういう勉強をするのでしょう?繰り返さないためです」みたいなのが先頭に来る、
ような気がする。
(言っておくけれど反戦者です)
博物館はこういう戦いがありました、いつどこでありました、何を使いました何人死にましたどっちが勝ちました、
そういうことの列挙に焦点を当てるから。

そして第二次世界大戦ベトナム戦争に対しそれぞれメモリアルがあったのですが
第二次世界大戦の方だけ行ったのですけれどね
ものすごく立派な噴水をものすごく立派な柱たち(それぞれが州を代表しているから50本以上)が囲んでいて
あと戦死者の数を星で表した壁があった。一つの星が10万人とか換算だったかな。定かではない。
戦争のメモリアルというといつでも水がある気がしていて
繰り返しになるけれど 広島か長崎で見た噴水に 原爆から逃げる時の、確か少女の手記よりとかの
喉が乾いて仕方なくて 油の浮いた水を飲みました みたいな 確実に汚染されてる水しか飲むものもなかったみたいな
そういうの思い出すんですが だからわかるんだ、噴水にするのは
でも
必要なのか?と思ってしまうのだ。
911メモリアルもね とても立派な噴水になっていて
そりゃあ大事だよ、そういうの、それはわかるつもり でも
少し疑問に思ってしまう
もう少し簡素なメモリアルにして 枯葉剤の影響で障害を持って生まれて捨てられた孤児が沢山
収容されている病院に寄付でもした方がプラクティカルなのではないか?とか
本当人のことはそうやってすぐ言えるんだ
昨日一晩電灯点けて電気無駄にした自分は棚に上げてね

自分の身は削りたくないから他人に対して攻撃的になる
本当嘆かわしい話
趣味を少し我慢して被災地に寄付しようという気さえない
人のことなんて何も言えない でも言う
奴らは国家じゃないか 私とは責任の大きさが違うじゃないかと
クラミドモナスがクズならボルボックスだってクズだろうにそういうことを言う

そういえば 911メモリアルのそばにあったレリーフ
we will never forgetと書いてあって 消防隊の人たちの絵が彫られていた
何を忘れないかを明確にしなくてはいけないと思う、
that those who took pains caused by this catastropheがいい
the people who hurt us and hatredにしてしまったら繰り返すばかりだ
でもそんなの 被害を受けていないから言えることなんだよね
それこそ 振り出しに戻るけれど
子供の頃に辛い経験をしたからと言って 非行に走る少年少女も 品行方正に育つ少年少女もいる
私は非行に走る人たちを責められない
選択権は自分にある、のでしょうけれど
自分の性格もある程度は与えられたものであり ある程度は自分で育てたものだ
だから選択権というのがどこまでカバーするものなのかもとても曖昧だ
ある程度知恵が付いてこないと選ぶことも出来なかったりするし
多分子供が責められにくいのはその点が情状酌量されるからだろう
そもそも選ぶという行為を理解するのにもある程度の知恵が必要だし
少年法で罰される年齢最後だから犯罪やっとこうという精神は完全に理解不能だし
その点に関してはそういう自分で良かったと思うけれど

ダメだ本当に止まらない笑、やめます