Inside of my head

音楽、映画、日々のことなど雑感

With my eyes

ここんとこ時々、自分が幼稚園で電車通学を始めてから今までの付き合いになる我が家の最寄り駅、の周辺で、自分がアウトサイダーみたいに感じることがある。

というか、わたしの回収されていない憧れが未だに転がっている東京のあの街で感じる雰囲気を感じることがある。

我が家の最寄駅には大きくて有名で裕福で偏差値の高い大学があります。地方出身でこの駅の周辺に住む人も少なくないでしょう。きっとその人たちには、わたしがあの街に抱いている感覚に似たものを、ここで感じるのだろうと思うのだ。それを疑似体験したような気持ちになる。

多分それは、寮生活で料理掃除がとても楽だったけれど少し実家を離れた経験から生まれた感覚だと思う。多分ね。

 

さぞわたしが惚れっぽいように聞こえるでしょうけれど、実はわたしが今好きな人とは6日間しか一緒に過ごしたことがありません。旅行中に出会ったから。惚れっぽい訳ではないよ。ただ、恋は落ちるものとか言うけどわたしには降ってきたもの、という感じだったまあいいそれが言いたいんじゃない

帰ってきてから、その6日間に撮った写真だけは、量はかなりあるんですけれど、見返すことが出来なかった。今さっき初めて少し見てみたらね、イエローストーンナショナルパークという間欠泉とかがある公園、地質的に硫黄のにおいがするとこだったんですけど、それも一緒に思い出して。

匂いもカラーでおもいだせる、て歌詞を思い出した。

今日、違う意味でその歌詞について考えていたばかりだったんだけど。

彼とさよならしてからもう3ヶ月以上経つのだけど、最初一ヶ月くらいは本当にそのことばかり考えていた。All the thoughts lead back to youという歌詞があるけれど、まさにそれだった。それはわたしをなんだか苦しくて素敵な気持ちにしてくれたのだけど、インターンとかから将来のこと考えたり、他のことも思考を占めるようになっていって。今はそこまで頻繁にすぐそこに直結していく訳ではなくなってしまった。

今はそれを覚えている。でも、このまま多分海を超えることもなく会わないままで時間は流れて、覚えていられるだろうか。鮮明さは確実に失われるだろう。匂いもカラーで思い出すことはできなくなるだろう、そう思って悲しくなっていた、夕方。

そしたら夜中にこれ。我ながらなんというか。リンクしてしまった。苦笑

 

覚えているかどうかはあまり重要ではないかも知れない。

誰かを自分でも驚くくらい深く好きになったとか、それがどんな気持ちにしてくれたかとか、何を見たとか、全部体には残っていくんだと思う。同じ体で生きる、というのはそういうことかも知れない。クロの傷が消えないように。ハリーのお母さんの愛の傷も消えないように。

傷っていうからあれだけど。跡は残るんだと思う。食べたもので体が出来ているというように、私という内側は経験したもので出来ていくから。貪欲に全てを内包して。忘れたって忘れないのでしょう。忘れたことさえも取り込んでいくのでしょう。仮に惰性でまたゲームをやった、だとか、一日ぐだぐだして棒に振った、とかそんなんでも、それがまたわたしの構成要素になる。そこに善悪の判断はない。自分がしたければしても誰も構わないというだけ。

それが今を生きるということなんだと思う。仕方がないんだ。

過去や未来ばかり見すぎているけど、最近部屋の大掃除兼模様替えしてても思う。今を見ないのは本当にナンセンスなんだろうと。今起きていることで100%起きると予測出来ていたことなんて、何一つないのだから。可能性はそこら中に転がっている。

 

ツイッターで3年前の自分に言っても信じてもらえなさそうなこと、とかいうタグがあるんですけど。

3年前には世の中何がいつ起こるかわからないってもう知った後だったから、別段思いつかないんだよね。

 

空が広かった頃を、最近よく思い出す。自分でだいぶ狭めてしまったけれど。それは視野が、行けそうな範囲が、狭まっただけで 空はもともと果てしないんだよな。