Inside of my head

音楽、映画、日々のことなど雑感

革命

優しい とは何か。

難しい質問で、わたしはこれ!というexactな答えは持っていない。

でも優しくない、は沢山言える。

精神病の治療というか扱い方というか、もそれに似ている部分があると思っている。

頑張れって言っちゃいけない、焦らせちゃいけない、大丈夫?って言っちゃいけない、いけないことだらけ。

じゃあ何をすれば?

わかっていたら闘病にこんなに時間がかからない、かもしれない。

わかっていたらね 取り敢えず現状とは変わる。

いいとか悪いとか、状況に応じて変わるものばかり。

そこからその根底にある「どう思ってやったか」「どうなると思ってやったか」を考えなきゃいけない じゃないと効果的な教育は出来ない

題名は忘れてしまったけれど 昔読んだ子供向けの話で

ある日男の子が犬を市場で買って帰ってくる

彼は暴れる犬を担いでくる

母親は犬は牽いて返ってくればいいのに、馬鹿だねと言う

次の日彼は小麦粉を買いに市場に行かされる

彼は小麦粉の袋を牽いて帰ってきてしまうので

袋は擦り切れ帰ってくるまでに中身は全て出てしまう

という話があった

その少年の名前がジャックだったと思うんだけど

ジャックのばか とか ばかのジャック とかそんな題名だった。

黄金律というのは具体的なことではなく抽象的なんだろうと思っている。

 

絶対のルール、と思って 37458の「絶対なんて絶対ない それはもう既に絶対です」という歌詞を思い出した。

この前、ノベンバの小林くんがインタビューで

色んな権力が倒されるとき、その直前までそれが崩壊するなんて多くの人は思っていなかった、というような話をしているのを読んだ

例えて言えば 絶対王政が倒される時代があった

その前は絶対王政が崩壊するなんて信じる人は多分少なかった

不満を持っていたとしても、だ。

そう考えると希望があるな、と思った。

「電気使用料を減らすなんて無理 そのための電力確保の為に 原子力発電を止めるのは無理」

「無政府状態のアフリカの国で起きているジェノサイドを止めるなんて不可能に近い」

「こんなに反日感情の強い国々と円満に領土問題解決なんて無理」

私たちが「無理」と思い込んでいるものが

後の代では「昔の人ってまじヤバイよね」と笑う対象になっていたらいいな。

「無理」は思っているほど無理でもないのかもなって思って嬉しかった。

こう書くと脳天気にも聞こえるかもしれないけど

いいことに関しては突然の明日はない、というのもわたしは信じている。

突然地震は起こる、突然リストラされる、突然事故に遭う、それはある

でも 突然病気が治る、空気が綺麗になる、水が増える、そんなことはない

それはほぼ100%の確率で無理

もちろんね 突然実家のお母さんがお金振り込んでくれて首が繋がるとか

突然降って沸く幸運がないとは言わない

でも基本的にとても低確率で起こることだと思っている。

特にその幸運がパーマネントに続くもの、となったら本当に確率は低い。

無理、の話に戻す。

人生はいくら無理だと思ってもいろんなことが起こる。

勤務先が倒産すれば生きていかれない と思っても

実際倒産しても心臓も呼吸も止まらない。

でも環境問題はそこまで悠長なことが言えない。

職探してる間に失業保険が切れても鼓動も呼吸も止まらない。

でも水が本当になくなって 大気の気温が本当に上がって 食糧難になったりしたら

飢餓で もしくは飢餓を恐れて勃発する戦争で 人類は滅びるかも知れない。

ルワンダツチ族フツ族紛争の話とか考えると

結構簡単に種族って滅びないんだなと思ったりもするけれど、

(冷酷な言い方のように聞こえるでしょうけれどそういう意味ではなく)

ペストであれだけの人口が死んだように

大気温度が上がって新しい病気が出来て 本当に滅亡するかも知れない。

わたしは構わないよ、別に、死にたがりだし

でもそういうものの中に未来を置く為に生きている訳じゃないと思う、

私に被害がないからいいでしょって言えるほど

誰の助けも借りずに生きてきてはないのだ。

 

もののけ姫のアシタカの状況は、現代の若者を思って設定したと聞いたことがある。

彼は村を守るために、自分たちの因果で現れたのではない災厄から村を庇って、死の呪いを受ける。

私たちも自分で使った電気じゃない、石油じゃない、自分らで汚した空気じゃない、自分らで作った不景気でもない、そんな社会に生まれてきて

曇り空の下で生きていくから、らしい。

それを聞いたときになんだか救われた気がした、

私の生活は確実に目に見えない誰かを犠牲にして成り立ってる、

だけどその機構を作ったのは私じゃない。

そう言ってもらった気がして。生まれてきて生きてるのがいけないことなわけではないと。

でも逆に、その恩寵でここまで生きてきて、少しは知識を持っていて、それを活用するチャンスも手を伸ばせば多分掴める位置にはいる、それは全部、人のおかげもあってなされたこと。

だからそのシステムを作ったのは私じゃない、と言って知らないふりしたいとは思わない。

教育を受ける権利をもらったなら 教育を通じてもらった知識は自分の為だけに使うべきではない それがもらったものの務めだろうと思う

そういう倫理観まで教えるような教育を受けてきている。

 

わたしは原発のせいで健康を脅かされる地域には生きていない。

それに罪悪感感じるのも当然。

でもそれで生きてるのがいけないんだとか思うより

じゃあ今もらってる電気使える便利な生活がある分

わたしたちが新しい、誰かを不当に傷つけることのない、エネルギーについて考えようっていうのが建設的だと思う。